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兵庫医科大学献体の歴史

 

兵庫医科大学

 

昭和47年度(1971)に本学は開学されたが、当初から最初の2年間は10体以下の献体しか確保できず、相当の危機感を抱かれたと聞いている。昭和49年度(1973)から実際に3年生を対象に解剖実習を開始したが、6−7名に一体という状況は巳むを得なかった。しかしその後献体数は急激に増加しており、このことは阪神間に出現した唯一の新設医科大学としての定着度とこの地域独特の進取の気風も手伝ったと思われる。また城先生や遅れて第二解剖学教室の教授として着任された欠田早苗先生の御努力はもとより、大学全体が献体収集を応援すべしという気風が醸成されたことと相まって、周辺病院、老人施設、福祉関連の役所などと多少連携活動が可能になったことも大きな原因であると思う。昭和54年度(1978)からはある程度献体数が安定して確保できる見込みがついたため、2−3人に1体または4−5人に2体という実習態勢を取ることが可能になり、現在では一貫して4−5人に2体という年2回方式を採用している。
当初は解剖実習が大学病院内に位置し、臭いや学生の騒音などの問題があったが、昭和59年(1984)に現在の解剖実習室と附属施設が完成したため、落ち着いた環境で実習できるようになった。昭和49年度から本年に至るまでの平均献体収集数は平均して約45体1年、開学以来平成7年までの献体受入れ総数は1,150体あまり、解剖数は系統解剖のみで910体になっている。しかし毎年の解剖数が献体受入れ数をわずかに上回っているため、数年先には実習態勢を変更せざる得ないと考えている。
本学の場合、当初から「兵庫医科大学篤志解剖登録」の窓口を設け、特定の献体組織を持たないという方針で現在に至っているが、平成7年の時点で1,626名の登録者数を得ている。これには平成2年度より大阪大学白菊会のご協力を得、兵庫医科大学に移籍を希望する方々を受理するようになり登録者数の増加に寄与したこともある。
(実際の献体収集は、専従職員がいないため当初教務課の職員が行っていたが、昼夜の区別のない当番任務が少ない職員数で賄いきれなくなり、現在では解剖教室の教員と教務課職員とが交代で当番にあたる制度に変更して行ってる。)
慰霊祭は毎年10月の第3火曜日に固定して遺族の方の便を図ると共に、学生や医療従事者など多くの方が出席できるように学内で行っている。また阪神間という土地柄から、慰霊祭は一貫して特定の宗教・宗旨に偏ることのないよう配慮されており、昭和61年からは完成した解剖体慰霊顕彰碑の前で献体者を顕彰する形式で挙行している。
献体者は、人命の尊さを教えると共に、人体の正しい構造を学んでもらうために貴重な御遺体を提供していただく真の篤志者であることを常日頃から医学生に説明している。
(解剖学第1講座教授 関 眞)

 

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